去る2007年4月15日、関東方面の製造拠点が、東京・川崎から神奈川・新横浜へと拡張移転致しました。名称も「新横浜工場」として心機一転、さらなる拡大を目指しています。今回の移転の経緯とその狙いについて、弊社代表取締役の松野行秀に話を尋ねました。
●営業窓口から、モノづくりの拠点へ。
--この度の「新横浜工場」の稼動について、その前身である「川崎工場」の経緯から教えていただけますか。
松野: 関東には元々、営業窓口のようなものがあったのですが、関東圏のクライアント様の声に応えるため、5年前に営業拠点プラス金型のメンテナンスサービスの出張所としてスタートしたのが始まりです。
それまでは金型に問題が発生すれば、一旦大阪の本社に戻して、直したらそれを関東に送り返すということをやっていました。これだと、行き帰りで約3日間以上のタイムロスになる訳です。当時は携帯電話の金型が拡大していましたが、ご存知の通り携帯電話の分野は日進月歩の世界で納期が非常にタイトです。
そんな中で、簡単な改修やメンテナンスができるぐらいの機能が関東にも必要だったんですね。
そこで川崎の敷地内に加工機を導入し、簡単な部品加工による変更や、金型の改造への対応まで受託できる体制を整えました。これが実質的な「川崎工場」の始まりです。
その後も、クライアント様から微細加工への要求もあって高速加工機「F-mach」を導入したり、金型加工の開発的な機能を付加したりしながら、本社工場とも肩を並べられる”モノづくり”の拠点へと転換していきました。

--「川崎工場」が「新横浜工場」へ移転することになったきっかけは何でしょう。
松野: 一つには、場所的に手狭で非効率になってきたことですね。
川崎工場でも、着実にスタッフの技術・技能を上げながら、関東圏の生産拠点としての位置付けが高くなってきたのですが、設計から金型完成まで対応できる”一気通貫”の体制を整えるためには、どうしても今以上の敷地が必要になるという結論に達しました。
そこで新拠点の候補探しを始めました。最初は都内を考えていたのですが、やはり広さとコストの兼ね合いで難しい面があり、最終的にはこの新横浜に落ち着きました。
●設計から完成までの一貫体制を実現。これからも更なる進化を。
──「新横浜」という立地の強みはありますか。また、「新横浜工場」の特長は何ですか。
松野: やはり関東・首都圏への利便性が大きいですね。都内と直結する東京丸子横浜線があります。工場のすぐ傍には東海道新幹線が走っています。それから、新横浜がこれからの発展都市として期待されていることも挙げられるでしょう。
「新横浜工場」は、先ほどお話した一貫体制を実現する、川崎工場の2倍以上の敷地(490・)と、2.5倍(360・)の建物面積を有した工場になります。設備面では牧野フライスの「V56」機を新規に導入しました。
また、本社工場とのデータリンクで、品質管理や工程管理も可能です。金型造りの機能向上はもちろんのこと、サービス向上と新規顧客獲得も目指していきたいと考えています。
──今後の予定を教えてください
松野: 移転によって、名実ともに関東圏のユーザーに応えられる新工場ができたと自負しています。
機械の導入スペースにはまだ余力があり、クライアントが増える見込みもありますので、今後人員を4名から10名程度に増やし、設備の増強を図りながら更なる進化をはかっていきたいと考えています。
──どうもありがとうございました。